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世界中の聖地を巡る写真家 稲田美織さん小学校卒業式のひとコマ。卒業文集には「アーティストになる」と宣言。
偶然が重なり表現の手段が絵画から写真へ。小学校卒業式のひとコマ。卒業文集には「アーティストになる」と宣言。

美織さんは写真家になる前は中学校で美術の先生をなさっていて、幼少期から絵が大好きでした?

子どもの頃は朝霞市(埼玉県)で生まれ育って、小学校時代に東京へ引っ越してきました。一人で絵を描くのも好きでしたが、自然に囲まれた環境でしたから、野山を駆け巡るアウトドア派でした。縄文土器が出る畑が近所にあって、ザクザク掘り出しては縄目をうっとりと眺めて古代のロマンに浸っている変わった子どもでしたよ(笑)。好奇心旺盛で小学校低学年から習い事はピアノを始め高校生まで続けていました。絵も教室に通って描いていました。うちの家庭は特別に裕福ではありませんでしたが、私がやりたいと言ったことは何でもやらせてくれたんですね。

絵を描くのが楽しくて仕方なかったのでは?

ある時、音楽は自分には向いていないなぁ…と思って辞めてしまいましたが、絵は何時間やっても疲れなかったし楽しかった。コンクールでもいくつか賞をいただきました。幼稚園である時ゾウがお題で、私は顔の正面から描きました。子どもってゾウは横からみた姿を描くのが多いようですが「このセンスは素晴らしい!」と絶賛されて。どんどん自信をつけて小学校卒業文集には「私はアーティストになる」と書いて、高校卒業後は迷わず美大へ進学しました。

絵ではなく写真という手段で、現在は念願叶ってアーティストでいらっしゃいますが、写真家スタートは95年からということですが何がきっかけでしたか?

これにはいくつかの偶然が重なっています。NYへ渡って絵の勉強をしていた時、NYはまだ治安が悪くデッサン代わりに写真を撮っていたのです。当時どこにでもあるフィルムから現像するタイプのコンパクトカメラで。でも、そのデッサン代わりの写真をコンテストに出したら受賞して、それで絵ではなく写真という手段も表現としてはおもしろいかな、と思ったのです。一方で絵の他に陶芸もやっていて、またこれもコンクールで入賞して、バーニーズニューヨークのバイヤーに買っていただいたり、NYフォークアートミュージアムのギャラリーショップで販売していただいたりしたのですが、陶芸を続けるよりも自然と写真に傾いていったのです。

さきほどから偶然とか自然と…という言葉が何度か上がっていますが、写真家を目指していたわけでなかったのですか?

気が付いたら写真を撮っていた…という感じでしょうか。それで友人と一緒にボストンへ行く用事があってついでだからハーバード大学の写真部門に写真を見せてみれば?とアドバイスを受けて、作品を持って事務局を訪ねました。それほど期待して行ったのではなくて、気軽な気持ちで訪問したら「この作品はフォトグラフィーコレクションのシニアキュレターが気にいるはず」と言ってもう一度アポを取り直して見せにきてほしい」と。それからそのシニアキュレターは作品を気に入ってくださって、トントン拍子に話は進んで1ヵ月間ハーバード大学で個展を開催しました。12~3点の写真を掲げて、テーマは「アメリカの原風景」でした。

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