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田中悠輝さん

田中 悠輝(たなか ゆうき)

ドキュメンタリー映画「インディペンデントリビング」監督
1991年東京都生まれ。明治学院大学国際学部卒業後、2013年から福岡県北九州市の認定NPO法人抱撲(ほうぼく)で野宿者支援にかかわる。2015年に東京に戻り、翌年4月自立生活センターSTEPえどがわで重度訪問介護従業養成研修を修了し、ヘルパーとして働く。同年6月鎌仲ひとみ率いる「ぶんぶんフィルムズ」のスタッフとなる。その後、映画「インディペンデントリビング」の撮影開始、2017年から認定NPO法人自立生活サポートセンターもやいでコーディネーターとして勤務。2018年から日本初の市民(NPO)バンク「未来バンク」理事。

支援と介助で「家族機能を社会化する」活動。

マスコミ試写で拝見し想像以上にとてもおもしろくて。たくさんの方に観ていただきたいと思い今回ご登場願いました。今作「インディペンデントリビング」を企画制作されたきっかけは?

いろいろありますが、一番は僕の住む江戸川区に自立生活センターSTEPえどがわがありまして、そちらの代表をされている障害者当事者の今村登さんにとあるイベントで「私の介助者をやってみないか」と声を掛けられたんですね。今村さんは今作プロデューサーの鎌仲ひとみさんとも親交があり、僕がSTEPえどがわが主催する鎌仲さんの映画「小さき声のカノン」上映会を手伝っていた時に、以前から面識のあった鎌仲さんと再会しました。大学卒業後、北九州で生活困窮者の支援活動を2年ほどしていました。東京へ戻ってきてからは、アルバイトをしていましたが定職には就かず、フラフラしていた時期があり(笑)。その時に今村さんと鎌仲さんのどちらからも声を掛けてもらい、介助者と映像の事務局というWワークを始めたのが2016年のことです。

Wワークで始めたのですね。カメラの勉強は特にそれまでされていなかったのですか?

最初は、自分が映像を撮る気はなく、単に事務局での仕事をしていましたが、今村さんから「ちょっと映像を撮ってみない?」とSTEPえどがわの記録として撮影してほしいと言われ、撮り始めました。最初は映画になるとは全然思っていなくて(笑)。今村さんたちと一緒に行動するうちに、大阪の自立生活センターの人たちとも関りができ、夢宙センターの代表でもある平下耕三さんに「悠輝ならできる。悠輝に撮ってほしいわ」と言われたことで、映画として完成させようと決心がつきました。 もともと九州にいた頃から生活困窮者の現場で出会う人たちの写真を撮影していたので、カメラに興味はありましたが、それほど勉強はしていませんでした。学生時代はいろんな方にインタビューをする企画もやっていました。学友に奥田愛基君がいて、彼が3.11後に発表した「生きる312」という映像作品に手伝いの一人として僕も参加し、いろいろな人に「生きるって何ですか?」と質問をしました。奥田君はスマホで撮影し、編集していましたね。

撮影ツールも様変わりしているのがおもしろいですね。世代が一新している感じで!

今の感覚でそういうものを使うのはスゴイですよね。僕自身、2学年下の奥田君から教えてもらったのがまさにその点でした。素人に毛が生えたようなものでも、やってみさえすればできちゃうものなんだ!という驚きがありました。デザインでも映像でも彼は躊躇なく飛び込んでいって形にしていくので、これは見習わなくては!と思いましたね。今回の映画制作に向けてのクラウドファンディングのやり方なども2学年下の林田光弘君(ヒバクシャ国際署名キャンペーンリーダー)にノウハウを教えてもらったり。後輩からたくさん勉強させてもらいました。僕の撮影はスマホではありませんでしたが小型のカメラで、マイクだけはしっかりつけて撮りました。

一方で介助者の仕事をされていたというのは、どんな方の介助を?

頸椎損傷された180センチ以上ある大柄な男性でした。寝ているところからどうやって車椅子に乗るのか、僕もまったく想像がつかないところから始めました。排泄や入浴など、大変そうなイメージがあるかもしれませんが、僕自身は大変だ!とは全然思わなくて。就寝時間にも体位変換などの介助があるので眠れなかったのはちょっと大変だったけど(笑)。介助の仕事をすることで不思議な経験値が溜まっていきました。北九州で生活困窮者の支援活動をしていた時のボスが「家族機能を社会化する」と言っていましたが、障害者支援の現場にも通じるように感じましたね。家族が嫌いな人も少なくないので、その機能を社会という外部に委ねていくことが、自立支援の方法論の一つとしてあるのかと。

3兄弟の末っ子として、のびのびと育った。

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