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子供の習い事トップ > ブログ・コラム・特集 > シリーズ・この人に聞く!第163回 > 1

福井利佐さん

福井 利佐(ふくい りさ)

切り絵アーティスト。静岡県出身。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒。東京在住。精緻な観察によるきめ細かい描写と大胆な構図で生命力のある線を描き出す。国内外の展示、ワークショップ等多方面で活躍。 »  福井 利佐 公式サイトはこちら

ハサミとデザイン誌に触れていた幼少期。

虫で切り絵というので、見たらもう…度肝を抜かれました!絵でもすごいのに切り絵という手段は珍しいですね。どんな幼少期でしたか?

実家の母は祖母と美容室を営んでいて、小さな頃から美容室に入り浸りで、母がハサミで髪を切る姿を目にしていました。それとELLE JAPONとかデザインっぽい雑誌、髪の毛の教則本、モード誌もあって読んでいました。いらなくなったお人形さんの髪をハサミでチョキチョキ切っていたりしてアートに興味はありました。3つ上の兄は活発で外に遊びに行ってしまう男の子でしたが、私は保育園から途中で幼稚園に切り替えて、帰ってきてからお店で静かに絵を描いている子で、いても邪魔にならなかったようです。

ハサミをもう幼少期から目にされていたわけですね。環境っておもしろい。高校生まで静岡でお育ちになって、美大に進学されたのは、やはり絵が得意で?

グラフィックデザイン学科に進んで、1~2年はデッサンなどの基礎で、3年から表現コースと広告コースに分かれます。そこで私は表現のほうに進みました。在学中から公募展で賞を取ったり、自分でデザインチームをやったり、割と皆、自分の表現を確立してきていました。その中で自分は何だろう?と考えて、人と同じことをしても意味がないし、絵がうまい人が当たり前にいる中で、いかにオリジナリティを掴むか?が美大生のアイデンティティでもあった。そこで幼少期に好きだった切り絵をやってみたら楽しくて。周りの誰もやっていなくて、のめり込みました。

切り絵を始めたのは3歳とか4歳とか、ハサミが使えるようになってからですか?

中学作文集の表紙となったとうもろこしの切り絵

幼い頃、目にしていたのは藤城清治さんの影絵です。当時の読み聞かせシリーズは小さな文字で子どもには読めなくて、絵をじっと見て想像力を膨らませていました。小学校では図工の授業で切り絵をやって、中学校になってから切り絵クラブに入りました。私はずっとバスケをやっていた一方で、絵は好きでした。1週間に1度の中学のクラブ活動で、美術系を選択したかったのですが、陶芸クラブと切り絵クラブの2つだけしかなかった。それで切り絵クラブに入ったら意外に楽しくて。一度、とうもろこしの切り絵が静岡市の中学作文集の表紙になったことがありました。それもちょっとエピソードがあって、実は小5の時にも表紙に選ばれ、その時は「割りばしペン」でとうもろこしを描きました。中学2年の時に国語の先生から頼まれて何を描こうか?と思い浮かばなくて…それなら、またとうもろこしで…と。中学校の美術の先生と、1年時の担任で国語の先生が仲良しで、私の切り絵について話してくれていたようでした。

10代前半から天才の片りんが見えて、先生同士の口コミで「あの子はすごい」と噂になっていたのでしょうね。習い事は何をされていたのですか?

小3からミニバス(バスケットボール)をずっと。昔から背が高くてポジションはセンター。幼稚園が終わってからエレクトーン、書道もやっていました。習い事はそれしかやっていません。中高ともバスケ部でした。兄は子どもの頃に絵画教室へ通っていました。絵が好きだった私は、なぜか通っていませんでしたね。

長身をいかして小3から高校卒業までずっとバスケットボール部で活躍した。

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