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子供の習い事トップ > ブログ・コラム・特集 > シリーズ・この人に聞く!第145回 > 1

林家木りんさん

林家 木りん(はやしや きりん)

1989年東京浅草生まれ。2009年林家木久扇に入門、2013年二つ目昇進。父は元大関・清國勝雄。身長192cm。趣味は相撲、野球、読書、競馬、空港見学、日本史、マラソン(ランニングアドバイザーの資格を持つ)。»  林家 木りん 公式サイトはこちら

野球少年が落語に衝撃を受けて。

すごく背が高くて立ち上がってご挨拶すると思わず見上げてしまいますが、小さな頃から背丈はお高かったのですか?

小学6年生の時は162~3cmでしたが、中学でぐんぐん伸びて中学3年生の時は182~3cm。3年間で20cm伸びた。体が大きいのは遺伝でしょうね。ちゃんこ鍋を食べたり、アミノサプリや牛乳はよく飲んでいた記憶があります。幼少期から小学1年生までは目立ちたがりで恥ずかしいということがなかったのですが、小学2年生頃から高校2年生頃まで、恥ずかしいから目立ちたくない!という気持ちが強い子でした。

192cmもおありで何か背丈をいかしたスポーツをされていてもおかしくないと思いますが、小学生の頃はどんなお子さんでした?

算数と理科が好きでした。国語の漢字テストは苦手でいつも赤ばかり。小テストでは何とか合格できても、大きなテストになると漢字が書けませんでした。あと苦手なのは跳び箱。小4まで飛べませんでした。足も遅かったので駆けっこも苦手でしたけれど、小5から目覚めてスポーツができるようになりました。両親はやさしくて、特に母はしっかり者。僕はひとりっ子でしたが、よくモノを落とす子だったので叱られてばかりでした。

落語家を目指されたきっかけは?TVのご長寿番組「笑点」でもおなじみの木久扇師匠ですが、素顔はあのままで?

落語は好きではなく、むしろバカにしていたくらいでした。高校生の時に「芸術鑑賞会」という学校行事があって、落語を鑑賞する機会がありました。その時見たのが、後の僕の師匠、林家木久扇でした。これが予想を遥かに超えて、落語のおもしろさを初めて知りました。師匠はほぼ、あのままです。おもしろければいい!という。素顔はしっかりしている面もプラスアルファされています。その時の体験が心にあったのは確かでしたが、まだ高校生の頃は落語家になろうとは思っていませんでした。

高校生の頃、地元浅草でモデルにスカウトされたという経歴もお持ちのようですが。

今よりずいぶん痩せていたのでモデルのお仕事をアルバイト感覚でしたが少しだけ。僕は中学受験をして私立中高一貫校に通っていて中学は野球部3年間。高校でも地元の野球チームに所属してポジションはピッチャーでした。うまかったというより、肩が強かった。勉強は、中学時代ビリから数えたほうが早いくらいでしたが、高校2年生の時、26歳の美人の先生が担任となって、先生にどうしたら好かれるだろう?と考えて、とりあえず先生が教えてくれる日本史を必死に勉強して、モチベーションがあがってそれ以外の成績もみるみるうちに上がりました。そういう人との出会いは、いつも恵まれています。

小学5年生頃、既に母と背丈が同じ位だった。

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