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ハンドベル界のトップ奏者「きりく・ハンドベルアンサンブル」主宰 大坪泰子さん

大坪泰子 (おおつぼ たいこ)

ハンドベルの既成概念を次々に覆す若き第一人者。その意志に共鳴した作曲家たちから数多くの新作も献呈されている。世界初のハンドベルによるカーネギーホール公演、大統領夫妻の招待によるホワイトハウスでの演奏会なども行う。1992年、自らチェンバーリンギング・ソロイスツ(CRS)を結成、主宰。その全く新しい演奏スタイルと深い音楽性で注目され、ハンドベル界のパイオニア的存在となる。国内外で人気を博し、ウィーンフィルのトップメンバー達と共演するなど欧州でも活躍。TVにも「題名のない音楽会」「徹子の部屋」NHK「おはよう日本」等数多く出演。CD「天使の復活」「ハンドベル・バッハ」の2枚を東芝EMIよりリリース、そのライナー執筆も手がけるなど文筆面での人気も高い。2001年、結成10年となるCRSを惜しまれつつ解散。
その後アメリカのトップグループ、ソノス・ハンドベルアンサンブルの日本公演をプロデュース、メンバーとしても日米のツアーやレコーディングに度々参加し絶賛を博す。
2002年に若手を集めて結成した「きりく・ハンドベルアンサンブル」は、2007年のアメリカツアー時より「世界で最も素晴らしいハンドベルアーティスト」と評価され、その後も数々の海外ツアーを経て、「ハンドベル芸術の最高峰」として欧米で絶賛されている。»  きりく・ハンドベルアンサンブル 公式サイトはこちら
»  大坪泰子さん 公式ブログはこちら

その音色を聴いて「私はこれを演奏する!」と直感。

本格的ハンドベルの演奏を私先日初めてお聴きして深く感動しました。眠りの森に引っ張られる強い引力も感じて。ハンドベルっていろいろな音があるのですね。今日はハンドベル界を牽引する立場でその音楽の魅力と、ご自身のプライベートについてもお聞かせください。泰子さんはハンドベルをいつから始められたのでしょう?

中学からです。学校(恵泉女学園)にハンドベルクワイアありまして、その音色を聴いて「私はこれを演奏する!」と強く思って入部しました。それまでは4歳上の姉が習っていたピアノを私も習っていましたが、あまり熱心ではなく。中学1年生から母の薦めでお筝も始め、筋がよい!と褒められて「三味線を弾けるようにして芸大を目指しましょう」とお師匠さんに勧められました。音楽は好きでしたが気乗りせず、それは選択しませんでした。

ご経歴拝見すると早稲田大学第一文学部卒業されていますよね。ハンドベル奏者…なので音大ご卒業されていらっしゃると思いこんでいました。進路選択の理由は?何かきっかけがあったのですか?どちらにしても優秀ですが!

本を読むのが大好きで、執筆する仕事をしたいという思いもありました。同時に大学時代も相変わらずハンドベルが大好きで、ずっと続けてきた演奏活動。どちらも好きでしたが残ったのがハンドベルでした。学生時代に宅建免許も取得して、大学卒業後は家業の不動産業を手伝っていました。仕事の定休日は演奏レッスンやコンサート活動も続け二足の草鞋。休むなくそんな生活をしていたら、ある時倒れてしまいました(笑)。

その頃から日々、全身全霊なのですね。主宰されている「きりく・ハンドベルアンサンブル」はいつからスタートされたのですか?

きりくは2004年にデビューしましたが、その前進に10年続けたハンドベルグループがありました。残念ながら解散したので、とりあえずやり直すためのきっかけとしてアメリカでも活動してみようと思って、楽器メーカーの社長が薦めてくれたアメリカのグループの指揮者に手紙を書いたのです。すると先方は私のことをよく知っていてくださり「きみの好きなように演奏してくれればいい」といってハンドベルグループに入れてくれました。

さすが!ハンドベルの第一人者として海外に知られていたのは活動しやすかったのでは?

渡米前に、大阪のあるホールから翌年の公演を依頼されたので、アメリカのグループでもいいかと伝えたら「とにかく大坪さんが演奏しているなら誰と組んでもいい」というオファーを頂きました。それで、アメリカのハンドベルグループと一緒に大阪公演をするつもりが、私が第二子を妊娠したことで、出演者として立てなくなりそのツアーにはプロデューサーとして徹することになりました。ちょっと申し訳なかったですが…。その後は単独でアメリカのチームに加わったり、そうこうするうちに育ってきたきりくを連れてアメリカツアーしたり。一年に8回くらいアメリカと日本を行ったり来たりして、毎回税関で「sightseeing」と答えていたら、ある時入管止められたこともあります(笑)。音の感性が違うアメリカで演奏経験できたことはとてもよかった…ひきだしが増えましたね。

中高過ごした女子校ではハンドベルのクラブ活動に没頭した。(真ん中が大坪さん)

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