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馬頭琴奏者 美炎 mihoさんたくさん本を読み、自然好きな少女時代。
23歳で始めたスロースターターの演奏家。たくさん本を読み、自然好きな少女時代。

大人になってから、しかもお子さんをお二人出産されてから本気で馬頭琴に注いだ…情熱ってすごいですね。出産すると忙しくて自分の夢は後回しになるものかと。

子どもの頃からクラシックをやっていると、プロの演奏家になるには先生について音大に進学してエリートコースを歩まないとなれない…とわかっていたし、大人になってから身につけた楽器で演奏家になれるわけがない…と。結婚した夫はモンゴル人の馬頭琴奏者で、彼の父親は人間国宝級の馬頭琴奏者でした。プロになるなら、夫を超えなくては意味がない、と思うようになりました。馬頭琴をもっとうまく弾きたいと思っても、まさかプロの演奏家にはなれないだろう…という迷いがあったのです。

迷いは占い師の一言によって断たれて、それから演奏家として何が変わりましたか?

自分の中でこうしなくてはいけない…というハードルを設けることで苦しめられ、演奏を楽しめなくなってその頃から民謡を弾くと違和感を覚えました。馴染めない民謡に向き合うにはどうすればよいか?と葛藤。違和感を覚えたのはプロになろうと思ったからです。私はモンゴル語を理解しているわけでなく、モンゴルの文化に飛び込みたいという情熱はそこまで湧かなかった。でも自分で曲を創り始めてから、また演奏が楽しくなって今ではほとんどオリジナル曲を演奏しています。意識が変わったことで、馬頭琴の師でもあった夫とは5年の別居を経て離婚しました。オリジナルの道に進んだことが、別れるきっかけになったと思いますが、それでもその道で行こうと決めました。

意識が変わって本来の美炎 mihoさんが目覚めたわけですね。幼少期はどんな子でした?

父は日本文学研究者で家に大量の本があったので、小さな頃から本を読んでいた記憶があります。猫をたくさん飼っていたので猫と遊び。父の趣味で日本庭園があって、大きな池にもらいものの錦鯉が2匹泳いでいて。太郎と次郎という名前を付け、毎朝餌を与えてかわいがって私も一緒に泳いだりしていました。山奥とか自然がいっぱい溢れている田舎に住みたいと子どもの頃から思っていて、高校は山形にある全寮制の学校へ進学して伸び伸び過ごしました。受験勉強はせずに労働作業を重視して半分自給自足。電波も入らない山奥でした。

15歳で家を出ると自立が早いですよね。どうしてその学校を選んだのですか?

母方の親戚がその学校の音楽教師で、前々から話には聞いていました。高校進学時に勉強は好きじゃないし、行きたい高校もなくて。親にそう言うと、山形の学校はちょっとおもしろいから見学する?と聞かれ、行ってみようかな~となって見学して気に入ったので決めました。小さな頃から憧れていた田舎暮らしができました。受験勉強はしない学校でしたが、森林生態学を学びたくて指定校推薦で東京農大へ進学しました。

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