0歳のお子様から始める!子供専用のスクール・塾・教材・幼稚園を探せる、口コミ&比較検討サイト「子供の習い事.net」 0歳のお子様から始める!子供専用のスクール・塾・教材・幼稚園を探せる、口コミ&比較検討サイト「子供の習い事.net」  
 
0
ログイン・会員登録
トップ スクール・講座(教材)を探す シリーズこの人に聞く 特集・口コミ
kodomononaraigoto.net
子供の習い事トップ > ブログ・コラム・特集 > シリーズ・この人に聞く!第47回 > 2
世界を股に駆ける写真家 織作峰子さんマジャール写真集の中から。子どもの何気ない瞬間を捉える。
逃げない、負けない、迷いがないマジャール写真集の中から。子どもの何気ない瞬間を捉える。

ところで写真家になろうと思われたのは何がきっかけで。

幼少の頃からアートの世界に興味を持っていて、近所にいた絵の先生のうちに遊びにいく感じで幼稚園時代から絵を習っていました。その先生が描く絵は抽象画でしたので、すごく想像力の勉強になった。一面まっ黒の絵を描いて、黄色の点と赤い点を描いてあるだけの絵を見せられて、「先生、これなあに?」と聞くと、「クマだよ」と。でも子どもって頭が柔らかいから「そうか、クマなのか」と受けとめる。そういう訓練や経験はすごくよかった。あと、うちの父は大工の棟梁だったので、家に常に木材がありました。それを削って遊んだり。華やかな世界になんて、まったく憧れがなかった。

写真を始めたきっかけは、師匠の大竹省三先生との出会いです。それまでは芸術家になりたかった。先生に、「写真も芸術だよ」と言われたときは、「えっ?」て(笑)。焼き増しが何枚もできるのに? 絵は一枚なのに?って(笑)。だから最初は半分興味本位で写真の世界に入った。でもすごく面白くて奥深くて。

よき師匠との出会いって人生を左右しますよね。でも写真の世界は師弟関係が大変厳しいと思いますけれど、お仕事を始めてやめたいと思われたことは?今までどうやって乗り越えてこられましたか。

ものすごーい厳しかったですね。やめたいと思ったことも3回ほどありました。フリーになってからはないですけど、修行時代は辛かった。でも、たぶん忍耐力は人一倍ある。陸上で鍛えたというのもありますが、体力は誰にも負けなかった。私の基準は、生きるか死ぬか。陸上をやっていたときから、練習して疲れて倒れたら、死ぬまで何秒くらいあるかと考える。1分くらいはありそうだ。じゃ、1分間休んで立って走れ、というふうに自分に言い聞かせて。

スタジオでも、辞める人はすぐ辞めていました。私はなんか悔しかったのね、負けることが。逃げることって自分の辞書の中に一切ない。そういう性格からすると、やるしかない、前に進むしかない。でも、死ぬほどつらいかっていうと、死ぬほどじゃない。だったら何でもできる。だから、少々のことでは、負けない。

5年で師匠から独立をされました。織作さんの撮る作品を拝見していると、迷いがないという印象があります。

修行は5年間でしたが、1年目から仕事はさせてもらっていました。最初は、作品を見てもらっていたんですけど、「不思議な感覚があるから実践で覚えていけ」と言われて。私は、仕事がすごくはやい。撮る枚数も少ないですし、カメラを向けると、ここしかないってわかる。アシスタントは使わないし、一人で全部やれちゃう。自分が前へ出て、撮るほうと撮られるほうの両方やることもあります。シャッターだけ押させて、私 が前へ立って、チェックして。お化粧直したり(笑)。忙しいですけど、そうやって一人何役もできるから、重宝がられ。でも、いま娘が仕事をお手伝いしてくれていて。今度展覧会をやるハンガリーも一緒に行きます。

親子で、うらやましいですねぇ! 写真家としてご活躍されながら、子育てもされて。大変さはありましたか。

母乳で育てましたが、産んで3週間して仕事で海外へ行かなくてはならなかった。搾乳機を持って、母乳は冷凍パック。授乳部屋がないときは、カーテンのなかにくるまってあげて。私は仕事に入ったら、子どもがいることすら忘れてしまう。保育園に預けて仕事をしていましたが、ある日ハイテンションで今日も仕事終わったーっ!て帰宅して、なんか忘れ物したな?スタジオに何か置いてきたかな?って、よーく考えたら「そうだ!子どもをピックアップするの忘れていた!」って(笑)。

保育園に娘を預けたことも忘れてしまう多忙な日々だったが、子どもの前では母の顔に

[3]を読む  

[1] [2] [3]

このページのトップへ

バックナンバー一覧へ




子供の習い事コラム ママの失敗談
Copyright ©JP21