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子供の習い事トップ > ブログ・コラム・特集 > シリーズ・この人に聞く!第43回 > 2
デジタル・コンテンツ・プロデューサー インテグラル・ヨーガ・インストラクター千葉麗子さんアメリカにて。2006年全米アライアンス(ヨーガ)資格のためカリフォルニア滞在の頃。
人の役にたつ仕事を求めアイドル卒業アメリカにて。2006年全米アライアンス(ヨーガ)資格のためカリフォルニア滞在の頃。

早い時期に芸能界ではない仕事も手がけられて引退されました。生き方の変化というか、何か転機がありましたか。

アイドルという仕事をソツなくこなしている自分に気づいて、ある時、人のためになりたいと介護の短大に進み、介護を仕事にした友達、それを学ぶ一般人の友達を見ていて……。短大へ通う年頃になって、好きな仕事は関わっていて気持ちがいいな、やっていて面白いなって思うことをやりたいと思うようになった。それで20歳の時に芸能界を辞めて、当時好きだったデジタルの仕事へ。その頃はITって言葉がなかったから、マルチメディアでゲームとかパソコン、インターネット、そういう新しいことに関わる仕事がしたいと。転職というのかな。パッと辞めちゃった感じです。

周りに千葉麗子さんを支えている大人たちがたくさんいて、引退という道を選択された時、「待て待て」と遮る声は?

ありました。怖さもあった。自分が好きな道に進みたいという芯がすごく強かったのと、計算高いかもしれませんが次の業界で「麗子ちゃん」と手を広げて待っていてくれる環境に持っていった。18、19歳と2年くらい時間をかけて(笑)。事務所の経営状態を黒字にすれば、誰にも文句は言われず辞められる(笑)。そうして周りに応援してくださる方を増やしていった。感謝しています。

「飛ぶ鳥跡を濁さず」で、お若くていらしたのに先見の明がありました。まったく異なる業界で経営者としてもやってこられ順風満帆でしたか。

ではないです(笑)。メディアで情報を得る一般の方々には、「華やか~!成功してる~!何も辛いことなさそ~!」と思われるかもしれませんが、犠牲にしているものはたくさん。時間、愛、心、お金…嫌なこと、大変なこともいっぱいありました。カミングアウトしていますが、私は一時期うつ病を患って拒食症、摂食障害になった。わざと吐いて体重も37キロ前後、骨と皮の状態。心療内科へ行って、抗うつ剤、睡眠薬、精神安定剤を飲んで、そういうことも超えてきて、いまヨーガをやっているのは自然な出逢いがあった。

ヨーガに出会うまでは体を壊されて。どんなふうに健康を取り戻しました?

どこの社長さんもそうでしょうけれど、ベンチャーなんてかっこいい言葉を使っているけれど資金繰りが大変で。次どうやって払うんだろう?通帳の残高がこれしかない!と。そういうことを経験して強くなっていく。慣れてくるというか「ま、いっか!」と肝がすわる。でも、20歳そこそこの小娘でしたからすごく辛かった。会社のパソコン売りに行ったり、銀行へ頭を下げに行ったり。そういういろんなことを経験して強くなったし、乗り越えてきた。今34歳、会社経営は14年になります。子どもを産んだのが9年前の24歳でした。

お若かくして仕事も出産も育児も。人生早回しみたいな勢いでしたね。

起業後4年間は辛いことが多かったけれど、もし「見えない力」が働いているとすれば、その力が『このままだと、身体と精神を壊して死んじゃうよ』と、子どもを産ませてくれたのかも。身体と心のリセットをする自然のタイミングで夫と巡り合わせてくれた。何よりも子どもという新しい命を、自分の血のつながりがあるものを子宮に宿したときハッとして。子どもを産んで1ヶ月後からヨーガを始めた。
きっかけは妊娠中、海外の雑誌、洋書を結構好きで見ていたら、マドンナとかメグ・ライアンが、ヨーガマットを小脇に抱えてセントラル・パークを歩く写真を見つけた。「これは日本にもブームがくる!セレブがやることは絶対マネするから、ヨーガはビジネスになる」とピンときた。ヨーガスタジオが当時なかったので。それと、産後15キロぐらい太ってしまったので体型戻さなくちゃ、と。でも辛いトレーニングは嫌だし、ヨーガなら…と。もう一つ、父が仏教やヒンドゥー教などの宗教本をたくさん読んでいたこともあって。ちょうど父が癌になり、亡くなる時期も重なって、ヨーガに呼ばれたというか。三点が重なって、よし、と思って。一気にNYに行き始め、ヨーガスタジオ、ピラティスのスタジオを全部見て、帰国後代官山でオープン。何店舗か経営して……と事業としても始まった。何店舗も経営し、メンタル部分を追求したくて毎年インドに行き始め、アメリカに滞在し資格も取った。

ヨーガとの出会いはいろいろな偶然が重なった。産後15キロ増えた体重もご覧の通りスリムな元通りに。

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