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子供の習い事トップ > ブログ・コラム・特集 > シリーズ・この人に聞く!第42回 > 2
ヒマラヤ単独登頂を成し遂げた登山家・野外学校FOS代表 戸高雅史さんK2峰山頂にて 96.7.29 教科書で見たことがあるような絶景。
限界を超えたところで訪れる自分との出会いK2峰山頂にて 96.7.29 教科書で見たことがあるような絶景。

世界有数の山へ登るには覚悟が必要だったのではないですか。

そうですね。親類一同を集めて、今回の山を最後にするという「誓約書」を書かされました。仕事を捨てて海外の山へ登りに行くというのは正気の沙汰ではないと思われました。実はアラスカへ行く決意をして、向こうへ着いたら山道具一式が届かなくて。毎日届いてないか確かめに空港へ行ったのですが、結局来なくて。さぁ、どうしようという時に、お世話になっていた方から「ここへ来た目的は登るためだろう。装備が足りないならお金を貸してあげるから登りなさい」と。それで買い直して登れることになりました。

もしかしたら神様から、これ以上行ってはいけないという啓示かもしれないとは思われませんでしたか。

いろいろ考え悩みました。けれどその当時はどうしても登って確かめたかったんでしょうね。まだフリーターなんて言葉がなかった頃でしたし、定職にも就かず山へ登るなんて世間に理解されなかった。登山はほんの一握りの人しか成功できない、ほとんど評価されない。でも、最終的に自分の中から湧きあがってくるものは消せなかった。「何か」は自分でも掴みきれていないものでした。二者択一で進まなければならない中で、周りの目より自分の気持ちに従ったのです。

心の声に従って山へ行かれたわけですね。

はい。でも山へ行くために一番最初に何をしたかというと、コンロの使い方を理解するための翻訳(笑)。辞書とにらめっこしているうちに何だか笑いがこみ上げてきました。登り始めた山は3日目くらいまで後ろから引かれているような怖さがあって引き返す口実を探していた。それを超えると、ちょっとした風の変化も楽しくなってきた。19日目にアラスカのマッキンリー6192mの頂上へたどり着けました。頂上真近になってからは小さな子のように泣きじゃくりながら登って、この世界でやっていこうと決めた瞬間でした。3日目くらいまでは、山の中にいながら山の中にいない、自分に膜を作っていたと思います。そのヴェールがはがれてやっと自然と一体になれたんです。

マッキンリーから戻られてからは、登山家として生きていこうと?どのような心境の変化がありましたか。

それまでは高校の数学教師として生活の糧としていましたが、教えるのなら子どもたちに自然環境との関わり方とか、冒険教育に関わりたいと。アメリカにはOut bound schoolという人生の船出を準備するという若者向けの学校があります。日本でもそういう学校を創りたいと考えて、マッキンリーから降りてすぐにミネソタにあるOut bound schoolの扉を叩き3ヵ月ほど体験入学。それから日本へ戻って塾の講師や高校の教師をしながら生徒と共に自然体験活動を楽しんでいました。自分が身につけた冒険教育を実践したわけです。特に生徒たちへ伝えたかったのは、限界を超えたところで訪れる自分との出会い。枠を外すのは難しいことです。若い時は肉体的な限界を超えるのも必要かなと。寝ずに100キロを歩く体験も生徒たちとしました。どんなふうに歩くかは各々の自由にして。80キロを超えたあたりから皆限界を感じ始める。過酷なチャレンジではなくて、自分と向き合う時間。それを求めているのだと思います。一年目13名で始めた100キロウォークの試みが、他校にもどんどん広まって多い時で400名くらい参加して13年続きました。

チョモランマ峰 98年に。紺碧の空、雪を照らす太陽、山で見る自然の色はひときわ濃い。

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