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メダルへの期待が高まる競泳パラリンピアン 山田拓朗さん史上最年少出場から12年、4度目の出場で金メダルに挑む。(C)NTTドコモ
史上最年少中1でパラリンピック出場、高2で北京へ史上最年少出場から12年、4度目の出場で金メダルに挑む。(C)NTTドコモ

スイミングスクールの他に障がい者の水泳チームにも所属されていました。そこでパラリンピックを目指すキッカケは?

小学3年生の時に行われたシドニーパラリンピックでチームの先輩(視覚障害クラスの酒井喜和選手)が優勝して金メダルを持って帰ってきてくれました。金メダルは大きくて、重くて、カッコよくて…。「自分も出てみたい。決勝に残ってメダルを取りたい」という気持ちが強くなりました。2004年のアテネパラリンピックに初めて出場し、一つ夢が叶いました。

想いが行動につながったのですね。学校の成績もかなり優秀でいらした上で、水泳の練習量は年々ハードではありませんでしたか?

練習量の細かなことは覚えていませんが、上級生になるにつれ段々増えていった。僕はスポーツも勉強も好きでした。中学では水泳部がなかったので部活動はせずに放課後は帰宅してすぐスイミングスクールでの練習に。その後、受験して地元の高校へ進学、学校の水泳部に所属しながらスイミングスクールでも練習。学校終わって遊ぶ…というのがまずなかったです。遠征もあって学校を休むこともありましたが、たまに試合だけ水泳部として出場したりしていました。

高2で北京パラリンピックを迎えて、その後筑波大学へ進学されました。学業と両立させる意思の強さが感じられますね。

高校は進学校で入学当初は一般受験で大学へ行くつもりでしたが、遠征などがあるとぽっかり抜けてしまって戻ると浦島太郎状態に(笑)。勉強についていくのが必死で…。ならば水泳で発揮できる力も加えて…と、筑波大学はAO入試で進学しました。

アテネ、北京、ロンドン…今夏リオでのパラリンピック。4回も出場できるのは快挙です。そのモチベーションを教えてください。

小さな頃から選手コースでトレーニングできる環境があり、周りは皆オリンピックを目指す仲間の中で、自然と僕はパラリンピックを目指すようになりました。選手コースの同年代の子と比べても速く泳げたし、うまいという自覚もあった。より速く泳げるようになりたいという思いが強かったのです。

高城直基コーチによる卓越した指導力は、能力をさらに引き出す。(C)NTTドコモ

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