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プロレスラー 蝶野正洋さん1984年4月新日本プロレス入門当時。同期の武藤敬司、橋本真也と共に“闘魂三銃士”として活躍。
スポーツで飯を食いたい。1984年4月新日本プロレス入門当時。同期の武藤敬司、橋本真也と共に“闘魂三銃士”として活躍。

中学でも大柄な蝶野さんはきっと目立っていたことと思います。高校時代はどんなことに燃えていたんですか?

中学時代サッカー部で功績を修めていたので、体育推薦で某私立高校へ行く予定でした。行ける!と思っていたから推薦の私立1校しか受けなかったけど、落ちてしまった。それで都立高校の2次募集がある学校を探して、少し遠くまで通学することになり、多摩方面にある都立高へ進学。でも入学するころには俺のことが噂になっていて「喧嘩の強い蝶野ってやつが来るらしい」と。

クチコミで(笑)。当時悪かった…といっても、プロレス道を確立されたわけですが、どこかで切り替えがあったのですか?

当時過ごした三鷹市は、中学生なのに親の車に乗って登校する不良もいましたから。いかに大人の世界に近づけるか?で目立とうとしていたのでしょうね。学校はそういう環境でも、うちの家庭はごく普通。小6の頃、姉とテレビのチャンネル争いで喧嘩になって、すごい剣幕で姉に突き飛ばされたことがありました。家族の中で俺は一番弱くて、誰にも勝てない立場だ…というのをわからされた出来事です(笑)。

家庭の中で一番可愛がってもらえた末っ子が、プロレスラーになろうと思ったきっかけは何だったのですか?

不真面目でしたから高校はすんなり卒業できないと思っていた。停学も4回喰らっていましたし、定期試験も受けずに過ぎていたから。ところが卒業できて、浪人中のこと。当時、金曜日夜8時にプロレス中継がテレビでやっていて。いつも仲間とその時間は外にいて家でテレビなんか観ることなかったのに、たまたま観たのがプロレス中継。「スポーツで飯を食いたい」と思っていたからプロレスに衝撃を受けて、俺が求めていたのはこれだ。チャレンジするなら18歳の今だ!と。

大学進学を目指している立場で、プロレスの世界へ憧れを抱く蝶野少年はどんな戦略でその先の道を切り拓かれたのですか?

親にはもちろん内緒。大学へ行ってアメフト部に入るから…という理由で、体を大きくするために家でご飯1日4食位しっかり食べて、ジムへ通って体を鍛えて筋トレを始めました。結局、二年浪人。予備校へ行って勉強するフリをしながら少しずつ体づくり。大学入試もこなしつつ、新日本プロレスの入門試験にも臨みました。問題は親にどのタイミングでいえばいいのか…で(笑)。結局、たった一つうかった大学の合格通知と一緒に、「実は俺のやりたいことはプロレスだから入門させてほしい」と直談判しました。親父には反対されましたが、俺も譲らなかった。親にそこまで盾ついたのは初めてのことで、結局親父も「わかった。それなら条件がある。大学に籍を置くなら1年間だけプロレスもやっていい。ダメなら大学に戻れ」と。そういう約束のもと、入門許可書に親の署名をもらって晴れて入門しました。

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