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東北支援に力を注ぐ シンガーソングライター 木村真紀さん

木村 真紀(きむら まき)さん

シンガーソングライター。大学在学中からスタジオミュージシャンとして活動。CM、ゲーム、アニメ音楽などの作曲編曲ヴォーカルを手がける。結婚出産後、日々の生活の中から生まれた歌を集めアルバム『涙』『愛ってなあに?』『小さな贈りもの』をリリース。時にせつなく、時にやさしく心にしみる歌たちは、ママたちをはじめ、幅広い世代から支持を得ている。最近は『響き合いプロジェクト』を立ち上げ、東北支援に心を注いでいる。石巻の北上中学校でのレコーディングを果たし、復興応援CD『祈り・わたしはひまわり』とアルバム『ピュアプレイズ』を同時リリース。
<作品> もののけ姫『えぼしたたらうた』ゲーム『アヌビス』の主題歌、 NHK『おかあさんといっしょ』の『ばわわぷ体操』他多数 »  木村真紀さん 公式サイトはこちら »  木村真紀さん facebookはこちら

自由に弾きたい!神童ゆえの苦悩。

真紀さんの音楽は10年以上前からお噂はかねがね伺っておりましたが何かと機会を逸してきて、ようやく巡り合うことができてうれしいです。今日は幼少期のお話から現在の音楽活動まで歴史をお聞かせください。小さな頃は何かなりたい職業がありましたか?

小学生の頃は、アテンションプリーズ~♪スチュワーデス(キャビンアテンダント)になりたくて家の中でもよくなりきって遊んでいました。父が航空会社に勤めていたのでよく羽田にくっ付いて行っていたんです。歌は大好きで、家の中では大きな声で唄っていましたが、当時「スター誕生!」というオーディション番組が流行っていたけれど、自分でそういう所へ応募できるような子ではなかったから家の中だけで弾き語りをしていました(笑)。

当時から音楽の才能が溢れていらしたんですね。ごきょうだいは、いらしたのですか?

うんと年の離れた兄と姉と兄がいます。20歳も違うまんなかの兄がチェリストで東京都音楽楽団に所属していて演奏者でした。その兄が大学生の頃に私が産まれて、私にピアノをバカにされたといまだに言います。小さな私は兄がピアノを弾いているのを聞いて「まだそんなの弾いてるの~?」と言ったらしくて、「もう二度とピアノなんか弾かない!」と思ったんだそうです。

かわいい。そういう環境で、一人娘のように大事にされたのでは?

大人の中で育った。ピアノって音大生は免税で買えますので、兄が音大生の頃にグランドピアノを母が買ったんですね。グランドピアノの横に大きな文字で『○免』(免税マーク)と刻印があって、大きくなるまでピアノには全部そのマークが入っているものだと思っていました。そのピアノが家に来て、私の記憶にはありませんが母には「あなたがピアノ習いたいって言ったから…」と、習い始めたのが4歳です。ピアノ講師をしていた母ですが、親子は無理!と思ったのか、通ったのは母の先生のところでした。

生活の中にピアノがありましたよね。着々と練習されて上達したのでは?

5歳でソナチネを弾き、皆の期待を一心に集めていました。でも小学校時代はピアノ部屋に毎日8時から9時、1時間閉じ込められて大嫌いになった。いかにさぼるか、どうすれば辞めさせてもらえるか、ばかり考えていました。指導してくださっていたのは音大講師もなさっているとても立派な先生でしたが、遊びのない雰囲気が私はつまらなかった。その頃「鳩子の海」という朝ドラが流行っていて小学生でしたが曲をコピーして弾いていました。そういうのが楽しかったんですね。ピアノを辞めたいというと、家族として認めてもらえないのではないか?…と幼いなりに感じていたので、なかなか言えませんでした。小5でやっと辞めさせてもらえましたが、その時まだ「ソナチネ」を習っていて…(笑)。暗黒の5年間ですね。言われる通りに演奏するのが嫌いでしたから、辞めてからはただ自分の好きな音楽のためにピアノを弾けるようになって自由になりました。

4歳からピアノを始め、5歳でソナチネを弾き神童とされた。

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