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原作・脚本も手がける奇才の映画監督 小林 政広さん

原作・脚本も手がける奇才の映画監督 小林 政広さん

原作・脚本も手がける奇才の映画監督 小林 政広さん

原作・脚本も手がける奇才の映画監督 小林 政広さん

原作・脚本も手がける奇才の映画監督 小林 政広さん

原作・脚本も手がける奇才の映画監督 小林 政広さん

原作・脚本も手がける奇才の映画監督 小林 政広さん

原作・脚本も手がける奇才の映画監督 小林 政広さん

原作・脚本も手がける奇才の映画監督 小林 政広さん

原作・脚本も手がける奇才の映画監督 小林 政広さん

小林政広さんは2022年8月20日にご病気のためご逝去されました。
謹んでご冥福をお祈り致します。この記事は2010年4月に取材致しました。

小林 政広(こばやし まさひろ)さん

1954年、東京本郷生まれ。
フォーク歌手、シナリオライターとして活動後、1996年に初監督作『CLOSING TIME』を製作。1997年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で日本人監督初のグランプリを受賞。映画製作会社モンキータウンプロダクション設立。1999年『海賊版=BOOTLEG FILM』、2000年『殺し』、2001年『歩く、人』と、3年連続カンヌ国際映画祭出品の快挙を果たす。2003年『女理髪師の恋』ではロカルノ国際映画祭で特別大賞受賞。監督第7作『バッシング』は2005年カンヌ映画祭コンペティション部門において日本人監督として唯一出品を果たし、東京フィルメックスでは最優秀作品賞(グランプリ)、テヘランファジル映画祭では審査員特別賞(準グランプリ)を獲得。主演も勤めた最新作『愛の予感』は2007年の第60回ロカルノ国際映画祭で金豹賞(グランプリ)を受賞し、ほか3賞も同時受賞。現在も世界各国の映画祭で作品が上映されつづけているほか、今、世界で注目されている監督のひとりである。
原作:小林政広『春との旅』毎日新聞社刊

家族のドラマを書きたくて

『春との旅』の試写を拝見して、とても心に沁みました。家族とか人とのつながりって何だろうと思うと同時に、生きている限り、人と関係しながら喜びも悲しみも抱えていかないとならない。でもどんな立場であっても希望はもっていたい。勝手にそんな風に受けとめてしまいましたが、涙が止まりませんでした。作品に流れている温かさ、美しさ、正直さは監督自身の魂かもしれません。まず最初にお尋ねしますが、この作品をつくるきっかけになったこととは?

『歩く、人』という映画を9年前に作りまして、もう一度家族のドラマを作ろう、と思ったのが最初のきっかけです。それでシナリオを書き出して。ちょうど2001年9月11日の同時多発テロから3ヵ月後の年末で、時代的に世の中が騒がしくなってきた頃に1週間で一気に書き上げました。
私生活でも2001年9月に子どもが誕生し、ちょっと環境を変えようと妻の実家がある大阪へ引越しました。『春との旅』は、その当時借りた家で書いたシナリオ。書きながら、実現はしないだろうなと思っていました。自費制作でできる規模の話ではなかったからです。その年『歩く、人』がカンヌ映画祭に出品されましたが、ついにその年は一本も作品を撮ることができませんでした。

足の悪い老漁師の忠男、小学校が廃校になってしまい給食調理の仕事を失職した孫娘の春との二人旅。この登場人物の設定は最初からあったもので?

そうです。あれは北海道増毛町が舞台で、そこでこれまで『海賊版=BOOTLEG FILM』『殺し』『歩く、人』という3本映画を撮ってきました。そうするとその土地を取材をするように町のことが段々わかってきた。『歩く、人』は造り酒屋の親父という設定でしたが、もう一つそこに住んでいる人の心情に踏み込めていないような気がしていて。
もう一歩踏み込めないかと思って、『春との旅』を書き出しました。

場面の細部に見られるリアリティー、主役の仲代達矢さんをはじめ脇を固める俳優の演技力も素晴らしいけれど、扱っているテーマと脚本の力はすごいものだと感じました。

この脚本は役者さんが気に入ってくださったり、いろいろな方に評価をいただきました。でも、僕の中ではシナリオでドラマが完結していた。これを映画にしても新たに何かを加えることはできないんじゃないかと思っていました。つまり、ホン(※)のイメージが出来上がりすぎていて、それをもっと超えるような画が撮れなかったら監督をする意味がない。自分が書いた脚本ですから映像イメージは鮮明にある。でも、それを超えようとすることで、自分のもっているイメージが壊されるような気がしていた。
ですから、あまり映画化することについて積極的に動かなかったんです。いつか作れればいいと、そう思っていました。
その頃はイラク戦争が始まったり、世界中で映画のテーマがガラリと変わった頃でした。これまではカンヌ映画祭に出品される映画はホームドラマが多かったのに、そんなテーマは見当たらなくなって社会的なものが多くなってきた。
僕が映画化に動き出したのは3年前でした。世の中の状況が、少し変わってきたように感じたからです。ホンも100回近く改訂して、これ以上は直せないというところまで来ました。それで、書いたホンを思い切って役者さんに読んでもらおうと。
まず手紙を添えて、仲代達矢さんへホンを送った。何の面識もないのにです!
  忠男役は仲代さんをおいて他にはいないと思ったんです。そうしたら、仲代さんの事務所の社長さんが初めに読んでくれて、おもしろいからとご本人に渡してくださった。
仲代さんも読んでくれて「これはぜひやりたい」と返事をくださった。でも主役が決まっても資金面では苦労しました。映画化は奇跡のようなものでした。
※ 脚本のこと

『「人間とは、生きるとは」という永遠不滅のテーマを追求』 (C)2010『春との旅』フィルムパートナーズ/ラテルナ/モンキータウンプロダクション/
・活動インフォメーションなし

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