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元サッカー選手日本代表 北澤 豪さん

元サッカー選手日本代表 北澤 豪さん

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元サッカー選手日本代表 北澤 豪さん

元サッカー選手日本代表 北澤 豪さん

元サッカー選手日本代表 北澤 豪さん

元サッカー選手日本代表 北澤 豪さん

元サッカー選手日本代表 北澤 豪さん

元サッカー選手日本代表 北澤 豪さん

元サッカー選手日本代表

北澤 豪 (きたざわ つよし) さん

1968年8月東京都町田市生まれ。
小学校1年生からサッカーをはじめ、 中学で読売サッカークラブへ。
その後、修徳高校を経て1987年に本田技研に入社。
1991年に読売クラブ(現東京ヴェルディ)へ 復帰を果たし、2002年シーズン終了後までJリーグで活躍。
また、9年間日本代表としても数々の国際試合舞台に立った。 (Jリーグ通算265試合、41得点、日本代表通算59試合、3得点)。引退後は、現役時代から続けていた社会貢献活動を続け、 現在、日本サッカー協会特認理事兼国際委員、JICAオフィシャルサポーター として国際貢献に従事し、サッカーの普及・発展に努めている。

自分できっかけを掴む時期には個人差がある

少年サッカーチームといってもレベルが全然違う町田市の強豪チームで、北澤さんは小学生時代から活躍されていました。サッカーをすることになったきっかけは何でしたか?

僕が生まれ育った町田市は当時新興住宅地で、市全体でスポーツに取り組む時代でした。子どもだけでなく、僕の父は野球、母は卓球を楽しんでいました。行政や地域主導で開催することに、住民皆が参加することでコミュニティの広がりがありました。たまたま僕が入った町田JFCというチームは昔から強かったのですが、強いからそこを選んだわけでなく、近所に住んでいて小学1年生から入部させてくれるチームだったから。子どもがスポーツから学ぶ体制がありました。小学1年生の時にどんな練習をしていたかは覚えていませんが、球を蹴るのが楽しくて仕方なかった。僕の場合は、たまたまそれがサッカーというスポーツで、早い時期に出会うことができた。自分できっかけを受けとめるようになるには、個人差がありますね。

北澤さんの場合、サッカーに目覚めてきっかけを掴めたのは、いつ頃でしたか?

最初からやる気があったわけではないんです。小学4年生の時に、6年生のチームの試合に出させられた時も「何で俺なんだろう」と。中盤のポジションで、同学年チームでサッカーやっていたいのに。当時は、選ばれているという認識すらなかった。

欲がなかったんですね。当時からダントツでうまかったのかもしれませんが、チーム内でのご自身を どんなふうに位置づけられていらしたのですか?

サッカーがうまい人は他にもたくさんいました。でも「こいつには負けたくない!」とチーム内のメンバーと自分を比較する気持ちはありました。あの頃、サッカーという競技に求められる協調性はありませんでしたね(笑)。切磋琢磨しながらサッカーという団体競技の深さを知っていきました。小学校時代から社会性は身に付けられませんが、早い時期からスポーツを通して「ひとつの社会」を知ることってとても大事だと思います。

中学生になってからは、読売ジュニアユースに入部されました。選りすぐりのサッカー少年が各地域から集まって練習も大変厳しいものだったと思いますが……。

何しろ中学生、高校生、プロ…と年齢も立場もさまざまな人が集まってサッカーをやっているわけです。 小さい頃から憧れていたラモスが横でドリブル練習とかしている。トップレベルの練習を間近で見るだけでもすごく勉強になる。横の広さ、上への広がり、高さを知ることができました。あんなふうにプレイするには、どうすればいいかを肌で感じることができた。

小学1年生から町田の強豪チームJFCに入部。球を蹴るのが大好きな少年だった。

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