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ラグビー全日本元主将「なんのために勝つのか。」著者 廣瀬俊朗さん

廣瀬 俊朗(ひろせ としあき)

1981年大阪府生まれ。5歳の時にラグビーを始め、北野高校を経て慶應義塾大学理工学部に進学。99年度U19日本代表、高校日本代表に選出される。2004年、東芝入社。2年目からレギュラーとして活躍。07年主将就任(07-11年度)。08-09,09-10シーズンではトップリーグプレーオフ優勝を果たす。09年のプレーオフはMVPも獲得。07年日本代表入り。12年にはキャプテンとして再び選出される。15年ラグビーW杯では、日本代表史上初の同一大会3勝に貢献。通算キャップ28。ポジションはSO,WTB。15年12月初の著書となる「なんのために勝つのか。」(東洋館出版社)刊行。 »  廣瀬俊朗 facebookはこちら

バイオリンが弾ける文武両道のラガーマン。

2015年のラグビーW杯で再びラグビーが注目を浴びているのが長年のラグビーファンとしては個人的にうれしくて、今日は楽しみにインタビューさせて頂きます。5歳からラグビーを始めたと著書にありますが、スタートとしてかなり早かったのでは?

幼稚園の年中組の頃、父親が体育教師を務めていたこともきっかけで始めました。大阪は元々ラグビーが盛んで「息子にラグビーをやらせてみよう」と思ったようです。同じ歳の子は大体10名位いて、僕はその頃あまりラグビーが好きではなかったのですが、練習後の豚汁やお汁粉がおいしくて、それを目当てに週1回通っていました。小学校へ上がってからもラグビーは続ける一方で、平日は毎日学校でサッカーをしたり、バスケの大会に出たり。習い事はバイオリンをしていました。

文武両道の主将ですが、バイオリンも弾けるラガーマンは本当に珍しいです。小学校時代からお勉強も優秀でいらした?

小学生の頃は普通でした。中学に入学してラグビー部に入部。そこで初めて主将を任されました。中3になって高校受験を意識するようになって目標にする高校でラグビーをやりたいと思い、俄然勉強を始めました。目標があると燃えるタイプなんです。ピアノ講師の母の影響でバイオリンは7年ほど習っていました。でも当時は友達にバイオリンを習っているのが恥ずかしくて、バイオリンケースを隠すようにして通っていました(笑)。

そもそも中学、高校、大学、社会人…とすべて主将を務めていらしたのは何か特有のスキルがあったのでは?

指名されたから受けたのですが、学ぼうとする姿勢があったから適しているとされたのかもしれません。知らないことを知る楽しさがあるので勉強が好き。エディー前監督は日本語も比較的話せる方でしたが、もっと会話をしたくて英語も勉強しました。でも、主将に必要なことは覚悟。社会人になってから、そのたいせつさを知りました。覚悟を決めれば、必ず支えてくれる人が現れる。その人を応援したくなるからです。

ご著書には成長の道のりとして幼少期から社会人までのことも書かれています。お母様の存在が強く影響されたのでは?

母は僕が小さな頃から大人扱いしてくれました。何か意見を求められて応えても、必ず最後まで聞いてくれた上で自分の考えも伝えてくれたので、頭ごなしに否定されることがなかった。結局そういうことがベースになって、自分で考えることが自然と身についたのだと思います。また、体育教師だった父も、サラリーマンの他の家庭よりも早く帰宅していたので、夕飯を家族皆で食べる機会が多かった。そんな親の愛情を感じたのは、大学進学のために上京してひとり暮らしを始めてからでしたね。

吹田ラグビースクール時代。いつも泥だらけになって走っていた(ボールを持つのが著者)

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