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7本指のピアニスト 西川悟平さん

西川 悟平(にしかわ ごへい)さん

1974年大阪府堺市生まれ。ピアニスト。JHC Foundation,Incグリニッチ国際音楽院ディレクター。米日財団会員。 15歳からピアノを始め、3年後にニューフィルハーモニー管弦楽団とピアノコンチェルトを共演。99年、巨匠、故デイヴィッド・ブラッドショー氏とコズモ・ブオーノ氏に認められ、ニューヨークに招待される。同年、リンカーンセンター・アリスタリーホールにて、ニューヨークデビュー。翌年より定期的にカーネギーホールにて演奏。05年、ジュリアード音楽院元ピアノ科主任教授オクサナ・ヤブロンスカヤ女史をJHC Foundation主催のもと日本へ招き、演奏会をプロデュースする。01年、両手の演奏機能を完全に失い、ジストニアと診断される。5人の医師に不治の病と言われるが、リハビリにより少しずつ右手の機能と左手の指2本を回復させ、現在に至る。08年、毎年イタリアで行われる「アレクサンダー&ブオーノ国際音楽フェスティバル」に招かれ、ヨーロッパデビュー。09年、ピアノ界の殿堂ニューヨークスタインウェイホールにてリサイタルを主催。同年、バンクーバーで行われた「国際障害者ピアノフェスティバル」で4位(クリスタル賞)を獲得。東京で行われた受賞者コンサートで、羽田総理(当時)より表彰状を授与される。12年、ニューヨーク市長公邸に招かれ演説と演奏をする。 »  西川悟平さん 公式サイトはこちら

意識的に物事をポジティブに捉える。

自叙伝「7本指のピアニスト」をワクワクしながら読ませて頂きました!10年くらい前に悟平さんに別件でインタビューさせて頂きまして当時も素晴らしかったのですが、時間経てさらに磨きが掛かった気がします。今日は『不可能を可能に変える術』について、これまでの体験をふまえて悟平さんの哲学をお聞かせください。『最悪の出来事も最高の出来事に変わる。それぞれの出来事を生かすも殺すも、自分自身の考え方と行動次第なのだ。』 と著書でも語られていますよ。絶望の淵にあっても投げだすことなく好きなピアノを積み重ねてこられたのは、人との出会いが大きかったですか?

人との出会いに尽きます。もちろん、自分の信念はブレないよう常にキープします。英語の表現で「半分空っぽ、半分は満タン。」ということわざがあります。コップに水が半分入ってるのを見て、『半分も入ってる!』と見る人と、『半分しか入ってない。。。』と見る人の違いを表す、僕の好きな哲学的なことわざです。この教えは「物事は『半分も入ってる!』と、ポジティブな気持ちでいなさいよ。」というものです。僕は、ネガティブになりそうな時は、いつもこの教えを思い出します。ポジティブに物事を見ていると、不思議とポジティブに物事が動き出すんです。信じるとか信じないとかの問題ではなく、僕は今までこの捉え方で、最悪なシチュエーションも時間はかかりましたが、良い方向へ持っていけました。

その英語のことわざ、コピーライターとしてキャッチコピーを考える方法で一番最初に習いました!物事の捉え方はたいせつですし、自分がそう意識することで変化が訪れるのですね。でも、最愛のお母様をお若くしてご病気で亡くされ残念でした。家族の死は私も経験があって辛いものですが、ポジティブな思考で越えられましたか?

最愛なる人の死や病気は、自分にはどうしようもできません。僕の場合は、母の闘病生活と死、それと父のうつ病です。こればかりは、最高の出来事にはなりかねます。ただ、僕はこの経験から、頑張って親孝行したい、と言う原動力にしました。

悟平さんがいつでも前向きに、誰に対しても質問攻めにすることで運を引き寄せたのではないかと感じています。日本では目立つことが悪いこと、という風潮がありますが、悟平さんは早くに海外へ目を向けてラッキーだったかも。これからの日本人に必要なことはどんなスキルだと思われますか?

コミュニケーションスキルだと思います。そして、自分の夢や目標や想いを、言葉で表せること。上手に言おうとか、上手く表現しようとか思わず、とにかく「私/僕は、…が好きなんです。…になりたいです。…をやりたいです。」という感じで! 僕がアメリカの大学で一番驚いたこと、苦労したことの一つに「授業中に黙って聞いているのは、ダメだ。質問でも、自分の思いでも発言をバンバンしなくちゃいけない。」と言われ続けました。数学の授業や、歴史の授業ならともかく、文化や哲学や心理学などの授業では、生徒一人ひとりが「よくもまあ、そんなにしゃべることがあるねぇ!」というくらい、よく発言します。始めの頃、僕は静かすぎて、全然ダメでした。でも日本では、全く逆ですよね。

もし、日本でピアニストを目指していたら…ちょっと違う展開になったかもしれませんね。やっぱり悟平さんはNYの前向きさが合っていると思います。

僕は日本にいたら、100000%ピアニストにはなれていませんでした。あまり褒めてもらった記憶がありません。「憧れの曲を、一生弾けないわよ」とか「ショパンは向いてないわね」とか「遅くからピアノを始めて、いくら頑張っても、上から塗ったメッキはいつかはげるわよ」とか「器用なだけで、音楽の才能がない」などと周囲からは言われ、とにかく心底傷つくことが多かったです。もちろん、時には褒めてもらったと思いますが、1褒めたら10けなされる感じでした。これは日本に限らずですが、とにかくキチンと正確に演奏することを徹底的にしごかれましたが、ニューヨークの器はでかく、僕のような荒削りな演奏をしても、その個性をいかして堂々と演奏させてもらえましたし、同時に厳しいレッスンで腕を磨かせてもらえました。 ちなみに僕の場合、海外に目を向けていたのは、音楽や映画の作品であって、まさか自分がニューヨークへ来るなんて思ってもなかったのですが、自然とそういう流れとなりました。

最愛のお母様は53歳という若さで病気のため他界。プリクラで撮った2ショットが最後の1枚に。

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