‘作文’ カテゴリーのアーカイブ

作文研続報(^-)☆

2007 年 4 月 13 日 金曜日

3月13日作文.jpg

春休みは、通常教室とは独立した募集をかけての、春特講なる授業が行われていた作文研。
この冬バージョンから、スタートした太一でありましたが、とりあえず、通常教室をはじめたし、春休みはあちこち遊びまわる日々だったこともあり、春特講は受けずにいました。

なので、休みの間少し一息いれての再開。まあ、先週の金曜からなので、本日は春休み明け2度目の講習ではあったのですが・・・。

一呼吸空いての執筆も、やはり事が執筆だけに、空いたことも悪くないっていうんでしょうか・・・。

久々に、私自身も、思いを新たにしたというか・・・。

作文の教室とはいっても、うまい文章を書くとか・・・たとえば、国語の授業で点がとれる作文とか・・・そんなものを教わるお教室ではないだけに、久々に読んだ太一の文章・・・上手いとは言いがたいです。はっきり言って・・・。

けれど、文章としてどうであれ、やはり、中身・・・内容・・・彼の考え方・・・そこに、「フムフム」となってしまう。(作文研の先生が、赤を入れるときに、ここというところに先を引き、かならず書いてある言葉なのですが)

そうなんですよね。この作文研。作文を書かせる教室でありながら、作文の書き方を教えるところではなく、子どもの独自の考えを引き出す場なんですよね。
ってところを、またここで再認識。

話は、若干ずれますが・・・。
この春休み、ふと思ったことがあります。
次男の力斗を見ていて気づいたことでもあるのですがね。

力斗は、ほんとに言葉にかかわる全てが苦手。言うことも、伝えることも、書くことも、読むことも。

いまだに、彼の言いたがっている、伝えたがっていることを、私をはじめ皆がなかなか理解できない状況が多々ある。

「りき、ごめん、何が言いたいんだかよくわかんない。」
「もーー、僕だって、どう言っていいんだかわかんないよ。」

こんな会話がしょっちゅう。
この年頃の男の子をお持ちの方は、これってよーくあることでしょう。

それでも・・・饒舌でなかったり、言葉少ななタイプの子でも、自分の考えを確立し、しっかり自分を持って本人行動してることって、実はすごく多いんですよね。

今まで、「自分の考えをもっている」とか、「しっかりした意見がある」という印象をもっていた人とは、
自分の言葉で、第三者に、上手く伝えている人だ・・・と、普通に思っていたのですが・・・。

ここ最近、「あ、上手く他人に、それを表現できずとも、括弧たる己を持ち、それを確立し、貫いている人は確実に居るのだ」ということを痛感いたしまして。

幼いながら、力斗がまさにそのタイプ。

言葉をしゃべらせると、ほんとわっけわからない、何考えてんだー???何言ってるんだー???
ほんとに、だいじょうぶかー???と、思ってしまうのですが、本人的には、かなりしっかりとした分別、考えのうえの行動をとっていて、単に、それを他人に伝える言葉を持ちあわせていないにすぎないだけだったりするわけです。

そういった意味では、力斗は、今はあやしげな男ではありますが、まあしばしこのまま、奴の考えのうえで、しばらく進ませていってみてもよいのかもしれません。

ここで、再び焦点を太一に切り替え・・・。

言葉で表現させる・・・他人に思いを伝える手段を確立する・・・それが、この作文教室に、太一を通わせた第一の理由であったわけですが、言葉がつたなくても、自分を確立している力斗をみていると、やはり自分の確立あっての、表現。表現は、いずれついてくるもの。やはり、今は中身の充実なのか・・・と、
かんがえさせられたわけです。

そういうことであれば、本日の太一の作文。上手い文章とは、お世辞にも言えませんが、物事をえぐるような考え方。自分の考えを確立するまでの葛藤。それを乗り越え、結論を導き出せたときの、本人の爽快さが伝わる、生きた文章のように感じたわけです。

あー、今日は、私自身が、もんのすごく理屈っぽく、わかりづらい悪文を書きなぐってますね。

おそらく、読んだ方には、「おーい、何言いたいんだかさっぱりわからんぞーー(^^;)」って言われてしまいそう(^0^;)

でも、えぐるように、物を考え、自分なりの出口をさぐるこんな行為って、なんだかんだで、自分にいい結果もたらしてくれちゃったりするし・・・。今現在、周りに自分の意見が伝わらずとも、確実に自分の思いや意見に基づいて行動していれば、いつか伝えるすべをみいだしたり、なにかの行動から、伝わったりしていくものかもしれません。勿論、いつかわかってくれるだろう・・・みたいな甘ったれた考えでいたら、誰もわかっちゃくれないのでしょうから、伝えたいという気持ちは、持ち続けていることが、前提ですがね。

やーーー、それにしても、今日は、理屈っぽーい、私の文章(><;)
しつこい文章、うざったい言葉の羅列・・・・その自覚あり(--;)

子どもさておき、私自身こそ、課題多いなーーー(^0^;)

奴らとともに、今後の明るみをめざします(^^)v
でも、言葉の羅列って、やっぱ楽しいけど(^^)へっへ、結局きらいじゃないんっすよね(^^)こりゃあ、進歩なさそ(^^;)

ってなわけで、いいかげん終わりにしましょ、ああーーーお疲れ様でした^3^
                                                  hamumi

考え、文字に残し、そして語り合うこと・・・

2007 年 2 月 25 日 日曜日

今週の作文研のテーマは「歌のない国」

歌のない大国に一人の詩人がやってきて、国民のために「ちいさくて愚かしい歌」をこしらえた。
そうすれば、小径に歓びがあふれ、炉辺には幸いがおとずれるだろうと、詩人は思っていた。
しかし、日々の仕事に倦み疲れた人々は、「こんな子供だましの歌とざれている暇はない。近ごろの商業の発展ぶりがわかっていない」と、詩人の歌を拒絶する。
詩人は、「ああ、この人たちは悪魔に魅こまれてしまっている」と泣いた。

といった内容の話。
この話から、歌の持つ役割とは何か・・・歌は我々に何をもたらすのか・・・自分にとって、社会にとって、国家にとって歌とは何か・・・を、考える。

今回のテーマは、三年生にもわかりやすく、かきやすいテーマでした。
いつの時代のどんな国かは、具体的にはあかされずとも、大変身近に感じられる、ある種普遍的なテーマでありますから・・・。

太一の作文の冒頭箇所。身近なテーマ故、すらすらと言葉が沸いてきたふうな印象・・・。
「歌がない国は、いつも、人の心がたがやされていないさびしい国になると思います。歌とは、人の心を豊かにするもの。歌がなければ今のぼくたちだって、このわだいをとりあげていないでしょう。どこでも歌、音楽は、字はつかいません。歌、音楽は、英語よりすぐれた、「きょうつうご」なのです。そんな歌、音楽がぼくは、大好きです。・・・・・・・・・・・」

と、ここから、具体的な話にどんどん展開していき、最後は、太一と同じクラスの音楽ぎらいの女の子の批判にいたっていってしまいました。

とっつきやすく、普遍的な大テーマ。そして、勢いのある書き始めをせっかくしていたのに、後半は、非常に小さな世界の、個人攻撃的なエゴイスティックな文章になっていました。

それでも、先生は、この文章を受け入れます。あえて、否定するようなことは、いいません。

ある意味、学校の作文の時間では、あり得ない文章なわけで・・・。太一も、学校ではおそらく、絶対書いてはこないでしょう。自覚はしていると思います。最後は、学校の宿題の日記にも書けない、自分のかかえているストレスを素直に吐き出した文章になっていたのです。

音楽嫌いで登場するその一女子とは・・・。
一年生の時から、太一を追い掛け回し、断っても断ってもつきまとい、太一を泣かせ続けている子です。

この3年間見てきていますが、度を越した過剰な愛情。幼子の後追いに似た感覚。誰が、何を助言しても、態度はまったく変わりません。非難されても、気づくこともない。(と、書けば書くほど、そんな子っている?と思われるでしょうが、ほんとに不可思議な子どもでありまして)

他にも様々な問題のある児童ですが、それでも太一は、ずっと耐えるしかないまま、今日まできました。
一クラスで6年間をすごす小さい学校。残りあと半分も、クラスメートとしての生活は続きます。

先生方も、親の私も、他のクラスメートも、一番穏やかな形で、太一をサポートすることしかできずにいます。
いじめとか、いやがらせとかではないですから・・・あくまで「好き、大好き」といった感情がおさえられずにいるといっただけの状態なので・・・。悪いことをしているわけでないといえば、ないわけで・・・。

結局、太一一人が、この件に関しては、多大なストレスを抱えているのが現状。

といったわけで、そういう意味では、今回のこの作文。
背景を知らずに、単純に文章だけ読むと、底意地の悪い小学生が、嫌いな個人を批判攻撃する悪文ととれるのですが、そんな単純なものでなく、自分の心の闇を吐露するすべを、少しづつ練習できているように私は、感じてしまいました。

作文研の先生も、そんな内情は知らないでしょうが、それでも、その闇を感じ取っているのか、吐露する部分は、どんどん吐露させてくれます。

私も、まずは太一に、お腹の中身を吐き出すだけ吐き出せてやりたいし。
溜め込みすぎて、おかしな方向に走る前に、心の闇は、小出しに出せるようにしておくのは大事なことですから。もともと、そういうことが得意なタイプではないわけだし。
これから先、人生、こんなことの中で戦って生きていかなきゃならないですし。

で・・・・
帰宅後、太一の作文を読んだ後、彼とひとしきり話しをしました。

書いてくれれば、こうして話をするチャンスも増えますからね。彼の本音をふまえて・・・。
「まあさ、大人になればさ、もっともっと合わない人間と、日々働かなきゃならない環境増えるしさ。
○○さんが、トレーニングさせてくれてるようなもんだよ。しかも、好きでいてくれて、こうしてくれてるんだからさ。ぜんぜんいいほうなんだしさ。」
などなど・・・。なんだか、上手でないフォローではあるものの、母子向き合って、こんな話ができるのも、
この作文研で、テーマはなんであれ、太一自身が、考え・・・それを文字にあらわし・・・それを読むことによって、ともに語り合えるわけです。

母とはいえ、悩みの解決法・・・正しい対処を教えてあげられるとは限らないですが、正解のない、答えのでない問題を、ともに考えていけるということが、まず一番大事なことなのでしょう。

と、いうわけで・・・・。
やはり、ものを書けるって・・・すばらしい・・・。
歌のない国もいやだけど、言葉のない人生も辛いでしょうね。

なんだか、うまくしまらないまま、本日はこれにて~~!!
                                                    hamumi

再び作文研へo(^o^)o

2007 年 2 月 2 日 金曜日

本日より、冬休み通った作文教室・・・正式には、作文研究所(作文研)の通常教室へ通うことになり、行ってきました。

授業前、私も先生と20分ほど初めて歓談。やはり、面白い!!学校にも、塾にも・・・もちろんその辺にもいないタイプの、様々な切り口を持った方です。まあ、ややくせは強いので、なじめない人もいそうな気はしますが・・・でも、基本的に、気さくでユーモアのある方なので、嫌味はないかな・・・。

20分の間には、我が家の背景の話にもなったり・・・。太一を知っていただく為にも、避けられない話題ですから・・・というか、冬休みの最後の授業で、太一自らが、作文に父親の死についてを言及していたため、先生もすでに知っていたし。

そんなこともあったため、思い切って、私が以前出版した本・・・手記をまとめたものですが・・・これをを持っていったところ、大変興味を持ってくださり、その場で早速目をとおしてくださり・・・。

「いいねえ、この本。人間悲しいときに書いた文章が、一番いいんだよ。うれしかったり、怒ってたりするときより、ほんとはずっといいもんが書けるものなんだ。」
なんていう不思議なコメントももらいました。
「これからも、もっと書こうぜー。」と、そそのかされたり・・・。

でも、私、今すでにあんまり悲しいことないしなあ・・・書くとしたら、面白ろおかしいこと書いちゃうしなあ・・・。前記のはじめのコメントからすると、いいもんは書けそうにないな(^^)なんてね。

と・・・私のどうでもいい話は、さておき・・・。

今日の教室のテーマは・・・・。

「女は出産の機械」

そうです、れいの柳沢厚生労働大臣のあの発言について。
この教室では、物語や小説のみならず、時事問題なども、よくテーマになるそうです。
子どもたちに、事件や事故、その時々に起こった問題を、多面的、客観的に、時には冷静にとらえられる力をつけることが目的らしい。どんな事象に対しても、自分なりの意見、考えをもてるようになることの重要性を、常々訴えているようです。

なので、このテーマでありながら、先生のはじめの投げかけは、以下のような内容でした。

野党女性議員が、猛烈にくいつき、世間的には、ほされぎみの大臣のこの言葉ですが、
「大臣として彼のこの発言は、勿論ふさわしくないのだが、よく考えてみると、本当に人間は機械ではないといえるのだろうか?人間は機械とは違うのだろうか?
医学が進歩し、人口心臓、人口の腕、人口血液、人口の目、腎臓移植、整形手術、入れ歯・・・。
人間の交換部品のようなものがあふれ、だめになった人間の一部をその部品に挿げ替えていく。
「病気にならないからだ」をめざす・・・というのは、人間が限りなくロボットに近づいているのではないか。
そう考えると、女の人と同じ働きをするロボットというのも可能なのではないか?
現に、自分以外の卵子と見知らぬ男性の精子を体に埋め込み、高齢で出産する女性もいる。代理母もいる。これは、母親のお腹を出産の部品として使っているということにもなる。
よって、大臣の発言は、学術的には間違っていない。
現代の事例、現象を素材として、君たちはどう考えるか?
この発言だけでなく、人間のあり方、今後の科学技術の行方などもふくめて、考えてみよう。」

と、こうです。

さて、これに対して、太一の書いた作文の中身とは・・・。

ぼくは人間を機械と一緒にしてはいけないと思う。
人間は、常に自然と一緒でなければいけない。
自然と一緒でなければ、心があせって、あげくのはてに間違える。
しかし、自然と一緒であれば、心が落ち着き、やすらぎ、間違えない。
ぼくは、人間が機械といった発言に、反論する。
人間が機械化したら、自然を壊し、破壊するであろう。いずれ、地球を壊し、他の星にいくかもしれない。
ぼくは、こんなのはぜったいにいやだ。これ以上地球をこわすのはやめて。

と、ざっとこんなかんじでした。

実際の文体や構成は、もっとつたないものですが、提議された内容が8歳の子どもには、難しいもの・・・であるのに、ひとつの事象に、これだけ自分の意見をはっきり提言できることは、褒めてやりたいところです。

はじめの先生との歓談でも「太一、ありゃすげーな。究者タイプだよな。最近ああいうタイプ減ってんだよ。減っちゃって残念に思ってたとこなんだよ。かわってっから、おないどしのクラスの子とかとはなじめないかもしんないけど、まあいいんだよ、あいつはあのまんまで大丈夫だろ。」
なんて、言われてました。

この作文研に行かせる前には、あんなんで大丈夫なんて言われても、えーまじっすかあ・・・と、言ってたと思いますが、実際、彼の文章を読むと、今まで知らなかった彼の一面を垣間見ることができ、私自身彼を見る目が、やや変わってきたように思います。

なにより、教室が終わって、彼の文章を読むことが楽しみになっている私がいます。
母として、子の書いたものをチェックしようというより、ある作家の次回作を心待ちにしている心情に近いものがある。それだけ、彼の文章にひきこまれているかんじがあるんですね。

こんな気持ちになるなんて、教室にいれる前は想像だにしてませんでしたからね。
お粗末な日記に、ため息ついてたんですから。

この教室のパンフレットの一文に、こんなくだりがあります。

人が文を読むのは、事実を正確に知る・・というだけではない。その人の「文の持つ魅力」を読むのだ。
魅力ある文は、魅力ある書き手から生まれる。
だからこそ、魅力ある人間にならねばならない。

ちょっと前まで、母の私にはわからなかった魅力を太一は、持っていたのかもしれません。
それが発見できただけでも、うれしい母であります。

勿論、まだまだまだまだまーだまだあまっちょろい男ですが・・・これから、もっともっと自分を深めて
魅力ある人間になっていってほしいものです。
母としてでなく、太一の作品の一ファンとしても、切にそう願うところです。

                                               hamumi

作文教室

2006 年 12 月 25 日 月曜日

いつぞやも書き込みましたが・・・。
この土日、太一の作文教室がはじまりました。と、言っても、冬の特講というやつで、冬休みの間、6講座を受講するのみなのですが・・・。

作文教室・・・と、銘打っていいものか・・・こう呼ぶと、なんかお勉強のお教室チックになってしまいますが、勿論勉強でないわけではないですが、受験勉強や学校の補足のようなタイプの場所ではありません。小さい子は、字が書ける程度から、上は大人まで、クラス別に受講できるところです。子を通わせているお母さんも、作文を見てもらえる場所もあります。

教室をやっている先生の案内文にこうあります。

「学校や塾は言葉を教え意味を限定し、どれだけ覚えどう使うかを教育目標にしています。そして平均的な子どもを育成します。作文研(この教室のこと)はその上に立って、「正解が一つ」「正しい表現」「協調性が優先」というオリの中にいる子どもたちの内奥にある個々の才能や特性に光を当て育成していくことを、存在理由・使命と考えます。」

「今を生きていく子どもたちに何が必要か、今の教育環境でいいところはいいとして、かけているところやちょっとした教育の工夫で、伸張できるだろうという領域を考えて、それを実践していきます。そのことで眠りにつこうとしていく、特性や感性、獲得不備の思考方法、無限の視点、観点、イメージ空間の活性化などが必要であると考えます」

「魅力ある文は、魅力ある書き手から生まれます。ここに着目したときかじめて、作文教育の目的がはっきりします。魅力ある自分を見出し、伸ばし、磨いていくこと、大きくしていくことです。これは、日常の全自分が問われます。」

などなど・・・・。ほんの一文の紹介ですが、私にとっては、すべて納得のいく言葉ばかりです。

こういった場に入っていって、太一がどう自己を確立し、また開放していってくれるのか、とても楽しみです。

事実のっけから、びっくりするような作文を書いてきました。
本当にビックリしました。若干8歳にして、哲学を説いてきました。

そのことが、いいとか悪いとかでなく、そういった個性を内に秘めていたのだということが、なんといってもビックリでした。もっと、ボーっとしてるだけの男かと思っていましたが、文章自体の完成度は、まだまだ所詮8歳ですが、捕らえ方は、中学生、高校生並み・・・へたすれば、大人とかわらない考えの展開をしながら、文章を書き進めていました。

これからの、彼を見守りたいと思います・・・。

と、なんだか今日は、硬い書き込みになりましたが・・・
今日は学校の最終日。この後、一路雪山へ(^^)v
明日は、雪上に立っていることでしょう!わーい、スキーだ、スキーだ、うっれしいーなーー!!

と、子ども以上にはしゃぐ母でありました!

また、こちらに戻ったら、我が家の今シーズンのスキーレポート第一弾!書いちゃいまーす!!

作文研は、また年明けだし、しばしまたふにゃふにゃの我が家で、年末年始を楽しみまっす(^^)v

ではでは、ハッピークリスマス☆☆☆
                                                   hamumi